Xマスに、大村・島原の城を訪ねて
その3:日野江城
日野江城は有馬氏の本拠、この辺は棚田百撰で選ばれるような段々畑の多い耕作に不便な土地です、その代わり有馬氏は口之津という天然の良港を直轄していた、口之津は長崎半島と天草の間を抜け海外とも直結できる湊でした。
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階段遺構
階段石は
五輪塔
脇の石積の
方形に注意
階段遺構は本丸へまっすぐ
二の丸は倭城頃の織豊の石垣
日野江城は石垣から文禄慶長の役の合間に織豊の城に改造されています、特筆するのは安土に匹敵する百メートルの階段でしょう、階段の石には五輪塔が使われています、キリシタンだからとも言いますが織豊の城では普通のことです、しかし階段脇の石積が野面でなく方形に切った石なのは要注意です、海外技術ではないかと現地案内板には書いてあります(有馬氏時代に原城もでき、切込はぎ技術前に松倉氏が捨てた城ですから)充分考えられることです。
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金箔瓦
通説と違い
秀吉と近か
ったのか、
現地説明板
の写真です。
本丸から原城方向を
山上の本丸は中世の姿です
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