02.鎌倉の立地

知られざる中世城壁都市・鎌倉
鎌倉の立地
単純な疑問、なぜ新田義貞は稲村ヶ崎から鎌倉に入らねば
ならなかったのか。鎌倉が滅亡したのは小田原の総構えが
歴史的変化の見誤りにともなった中の人的な崩れからはじ
めて意味をなさなくなったのと同様、内側の人々の弱体化
によって作戦負けしたといわれています、しかし最終的に
海からではないと大軍は鎌倉に入れず、その防備はしっか
り機能していたことになります。秀吉が小田原後総構えを
取り入れたことが小田原の総構えの機能性を認めたと言わ
れるように。
(右へ)
まず、鎌倉の立地ですが鎌倉を頼朝が選んだ理由は幾つ
かあるようです、
1,当時関東平野は今よりずっと海が奥に入っていて尚
かつ陸は蒼氓の地だったようです、従って海沿いに来た
街道は鎌倉から山越えして木更津に渡った(上総・下総
の呼び名はその名残=上が京に近い)。
2,三方山で囲まれ一方は海の要害の地だった。
3,源氏それも頼朝系ゆかりの地だった。
ほかにも砂鉄の良産地で武器に好適とかあるようです。
名越の切通し近くの展望台から
鎌倉市街です、向こうの尾根か
らここまで延々と取り囲んでい
る尾根の木が切り払われ加工が
施されていたという。
写真ではもう二枚右につながな
いと(左写真写真中写真右
全貌が写せないほど広範囲です。
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