知られざる中世城壁都市・鎌倉
北条氏とは
鎌倉幕府は源頼朝が開いたので源氏の街と思われますが
実際は源氏は彼だけで二代目三台目は力がなく、以降は
借り物でした、源頼朝自身も輿に載った形ですから彼が
いる頃から諸勢力のバランスを大切にしており義経の失
脚も輿を担ぐ勢力大事から身内を切った悲劇と言われる
くらいですから権力闘争の渦が逆巻いていました。
小説の話で恐縮ですが森本房子の「板東の野辺に死す」
(崙書房出版)は下川辺行平という源頼朝に惚れ込み政権
の中枢部にまで行き着くが、権力闘争で消えていく板東
武者を書いて出色と思います、和田氏・畠山氏・三浦氏
・等々そうそうたる勢力を追いつめ北条氏が一人勝ちし
ていきます。
(右へ)
源氏は土地本位思考というか律令制の制度輸入から今の世も
変わりませんが為政者は土地を抑えて土地に縛りつけて税を
とってきました。その鎌倉幕府体制の中で北条氏得宗家本体
は物流中心思考とまで言えなくても物流に重きをおいた数少
ない例といわれます。
ご存じのように南朝というか北畠頼房はでしょうか土地本意
即ち知行し米をつくり年貢を納める範囲外の自由移動勢力を
締め付ける鎌倉に対する不満を吸収しクーデターに成功しま
すが確立すると結局土地本意に戻りそれらが離反し失敗した
といわれます、
頼房得意の海賊は言うに及ばず楠正成は陸運
勢力の代表ということですし、南朝の城は修験道の宗教勢力
の範疇そのもの・・・。
(左下へ)
幕府自体は土地を知行しました、西の平氏が滅び板東の
武士が配転されましたからこの頃の異動若しくは土地の
分散知行は、激しかったと言われる江戸期初期に比べて
も遙かに激しいものでした、多くの西国大名の中に板東
を起源に持つものが多いことが如実に物語っています。
その中で北条氏得宗家は平氏出自からか重要な湊や宿場
など流通路を確実に抑えていったようです。
(右へ)
その範囲は当時の南限の喜界が島(奄美大島の隣のこの小さ
な島が南方貿易の重要湊という)を抑えたというし、北限で
北方貿易の雄、
安藤氏やそれと競った南部氏が北条氏の代官
出身(特に南部氏の祖は鎌倉から出航したという説もある)
といいます。このような南北海外交易だけでなく中京など東
海道の要所から日本海の湊まで国内流通も確実に押さえてい
たのが北条氏得宗家なのだそうです。