08.能島城 その3

しまなみ海道・水軍の城を訪ねて
能島城 その3
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鯛島と
 奧に宮窪港
ピット
瀬戸の潮流
能島の潮流
上左の写真は三の丸崖下からの潮です、奥に伯方・大島
大橋が見えます。伯方島大島間の瀬戸は橋の手前で鵜島
を挟んでこの宮窪瀬戸と船折瀬戸にわかれともに90度
曲がります。左端の山は対岸の大島側で、その上のカレ
イ山の展望台から伯方・大島大橋と二つの瀬戸が見晴ら
せます。上左写真右側の岩の段差は加工された武者走り
で桟橋状の板で全島が囲まれていたそうです、水面に接
した部分には桟橋の柱の無数のピット上右の写真があり
ます。   全ての写真はクリックで拡大します
上左の写真は能島の岩場と対岸が鯛崎出丸で、上右の写真
そこを流れ出る潮流です、足下を流れる潮流は戦慄をおぼえ
る凄さです。この二つの島の間には橋が架かっていたという
説もあります。なお左写真の奥が宮窪港で、ここには水場と
よばれる女・子供・年寄りや平時に城主がいる館などがあり
ました海城は井戸の便が良くなく対岸にこのような文字通り
水や食料を供給する水場というところが必ずセットでありま
した、勿論攻撃はそこも同時にされますので宮窪には出城も
残っていると言うことです。
水軍レース
スタート地↓ 右の小さい島が能島↓ ↓ゴール地
復元された小早舟で競う
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宮窪と周辺の町が主催の「能島水軍レース」が毎年7月初旬
に実施されます、実物大に復元した小早船を使って順位を競
うもので、力のある若者チームより潮流の経験のある年寄り
チームが勝ったりします。左の写真はゴールへ向うレースの
模様で写真右端には小さな能島が見えます。右写真は本来は
真っ直ぐ進むべきなのに、潮流を計算できず観客席の方に流
されて来てしまったチームです。