03.風早平野と来島氏

河野氏の故郷・風早平野と湯築城
風早平野と来島氏
河野氏と来島氏
河野氏と来島村上氏は村上通康が湯築城の中に屋敷を持ったりただならぬ仲(最近では同族に近い説が出ている)
ですが、子の通総の時河野氏との関係が悪化し、村上通総が秀吉(織田方)に走り、河野氏との関係を重視する
毛利と因島・能島村上連合軍に攻められ窮地に落ちます、しかしその直後信長の死を契機に秀吉と毛利の関係が
改善し四国平定のときには毛利も秀吉側についたため因島・能島村上氏も河野氏を攻めることになります。そし
てが来島氏(改姓)が風早平野に1万4千石を所領することにつながっていきます。
鹿 島 城
恵 良 山
高縄山から恵良山
高縄山から風早と鹿島
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上の写真の恵良山の恵良山城は織豊大名時代の来島氏
の本拠、その前は来島村上氏の時代の来島氏の拠点で
もありました、その独特な形は風早平野のどこからで
も望むことができます。
上の写真の中央海岸線に接し椀を伏せたように見える
のが来島村上氏の鹿島城です、ここ斎灘(いつきなだ)
は四国沿いに航海する瀬戸内航路と四国から京・大坂
への航路の両方を抑える重要な拠点でした。