05.湯築城の破壊計画と道後湯築城を守る県民の会

河野氏の故郷・風早平野と湯築城
湯築城の破壊計画と道後湯築城を守る県民の会
https://plus.google.com/u/0/photos/104403803135207386325/albums/6101900315366853521/6101900373431205586?pid=6101900373431205586&oid=104403803135207386325
上の写真左は松山城の天守からの湯築城です、右の写真は
湯築城から見た松山城(右上の山)です、湯築城は室町に遡
れる二重の円形の堀に囲まれた重要な史跡ですが、道後温
泉に隣接しているためご覧のようにホテルとマンションで
囲まれかろうじて道後公園として維持されています、ある
とき行政が県立動物園を移動しました、遺構を破壊し日本
庭園を(駐車場要望も)つくろう
というのです。
写真はクリックで拡大します
しかし遺構の大切さに気付いた県民の皆さんが反対運動を開始し発掘調査の結果でも中世城郭の貴重な
遺構がでました、以来10年に渡る地道な運動の結果史跡を生かした公園として保存整備されることが
決まりました、県有地ながら史跡にも申請がなされないお寒い状況でしたから隔世の感があります。
(開発できないから)歴史は嫌いだと箱物建設に走る行政の長の元での苦労が絶えない地道な運動によ
って貴重な史跡が一つ救われたわけで感謝にたえません、松山城の二の丸のへんてこりんな施設(一応
復元庭園とかでしたっけ)に似たようなものがもう一つ増えるところでした。聞くところによると「
は二つ要らない松山城があるではないか」
ということのようです、史跡への無理解の極まりですし一方
余所者の支配の象徴松山城があるから河野氏の史跡はいらないとう地元の守護河野氏の人気の無さは悲
しいものがあります
(観光資源になるかならないかの理由としても)、そこで判官贔屓ではないですが
村上水軍との関わりと、若干ですが守る県民の会のお手伝いをし、また道後湯築城ファンクラブの会員
でもありますからこの「河野氏の故郷・風早平野と道後湯築城の頁」を特集しました。
注:この原文は2000年当時のものです、行政の長も変わり、2002年史跡公園として保存整備
   され国指定史跡にも答申された、道後湯築城を守る県民の会の皆様にお礼を申し上げます。