02.その1:豊かな縄文の世界(三内丸山)

北のまほろば・奥州の城を訪ねて
その1:豊かな縄文の世界(三内丸山)
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縄文の世界から弥生期
津軽氏が統一し幕府が鎖国するまで此の地は海を中心にした環日本海の文化の一つの中心地だったことを考古の世界が少しづつ明らかにしてきています、津軽海峡を挟んだ土器に代表される同質文化の時代です。しかし奈良時代の8世紀前半以降多賀城や各地の柵が築かれ大和政権の力が迫ってきます。
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縄文のポシェット 木を編み漆を塗った縄文人のポシェット彼らは何を入れたのだろうか。
三内丸山柱と建物

左写真は有名な柱の復元と建物、柱は宗教施設とか物見台とか諸説あるのでこの形にしたのだそうである無理に屋根などない姿が良い、建物は吉野ヶ里や根城の復元建物に通じる、弥生や中世まで通じる姿であるこの復元が本当なら、その社会性から防御性の縄文遺跡が見つかり柱は物見台というような城の歴史を弥生期よりさらに引き下げる時が来るのかも知れない。
つい最近まで縄文人はこのような社会性が無いと教わっていたのだから。
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