04.その1:防御性集落と福島城そして北の系譜の城へ

北のまほろば・奥州の城を訪ねて
その1:防御性集落と福島城そして北の系譜の城へ
大和律令勢力の進出と海峡の分断
やがて坂上田村麻呂の時代、平安期に入るころには大和政権の力が海峡まで到達します、それまで同質だった土器が海峡で分断され北海道で独自の擦文土器が出現することがそれを如実に物語っているといいます。

ちなみに北海道独自の擦文土器は北方人と密接なもののようです、最近まで知らなかったのですがアイヌ民族はこれと無関係で、ずっと後の鎌倉期以降に日本列島に住む人々の中で大和文化ではなく北方の文化を受け入れた人々で成立した民族と言うことです。

そして後退と防御性集落そして北の城の系譜へ
しかし10世紀の後半に入ると武士の出現に見られるように中央の律令体制がゆるみ、此の地も独立化し再び海峡が内海化されて北海道の擦文文化と奥州の鉄や須恵器などが交流します、ここで中央系勢力と地方のせめぎ合いから緊張が生まれ防御性集落が出現、この流れで福島城のような北独自の城も造られたといいます。

これらの北の城の系譜は前九年の役・後三年の役を経て此の地を統一した奥州藤原氏の城まで繋がっていくということです。