12.その3:北畠氏の城1

北のまほろば・奥州の城を訪ねて
その3:北畠氏の城1
北畠頼房と水軍
南朝では陸運の代表楠正成が活躍しますが水軍も重要な活躍をします後醍醐天皇を隠岐から救い出し船上山(右の霊山と似た岩山)に移りますが名和氏とともに現地の水軍が係わります、これだけでなく各地の水軍が南朝につきその功績は北畠頼房が大きいと言えます。瀬戸内の村上水軍が信濃系村上氏に突然変わる裏に北畠頼房がいたともいいますし、南朝の起死回生を狙って伊勢から船出し難破するのも意図的難破で各地の水軍本拠に勢力をちりばめたという説もあるくらいで霞ヶ浦水軍と関係の濃い小田城で神皇正統記を書き湖水城である関城に戦うが敗れると
いうように最後まで水軍と関係を持った。
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霊山の館跡と砦のあった巖山
北畠顕家と奥州
北畠頼房の子の顕家は陸奥守ととして多賀城、
そして多賀城がとられると福島の霊山に国府を
置き遠く関西まで二回も軍勢をのぼらせた。
※多賀城写真集 霊山写真集をご覧ください
https://plus.google.com/u/0/photos/104403803135207386325/albums/6101902062841553777/6101902228402953714?pid=6101902228402953714&oid=104403803135207386325
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北畠氏の進出と南部氏
安藤氏と南部氏との間に突然出現して津軽氏が拡大するまで約百年勢力を持ったのが北畠氏です、南朝方の北畠頼房の子であり奥州探題であった顕家の子孫が安藤氏と南部氏の中間点浪岡に本拠を置くのです。右写真(クリック拡大)は浪岡城の案内板の北館復元写真です。