17.その8:津軽氏の城1

北のまほろば・奥州の城を訪ねて
その8:津軽氏の城1
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津軽氏の進出
やがて南部氏が鰺ヶ沢にほど近い安藤氏の勢力の種里に打ち込んだくさびであろうといわれる一族の子孫が次第に力をつけて大浦まで進出してくる、津軽為信である。
彼は浪岡の北畠氏等の南部系勢力を滅ぼし中央の藤原氏近衛前久に取り入り秀吉との接触に成功し、津軽地方を南部氏から切り離して独立することに成功、今も津軽氏の廟所に藤原系の紋が付いているのはその名残という。
津軽氏はひたすら寒冷所には苦手な米の生産だけに力を入れオホーツク海上空からの冷風「山背(ヤマセ)」による五年に一回程くる飢饉の種を播いた、司馬遼太郎流に言うなら愚直なまでに米中心の経済を図り貧しい津軽にしたということになる。明治以降の林檎を持ち出すまでもなく、財政がいきずまった各藩の建て直しの常套手段である米以外の産物を作りだというやり方を追わず、ひたすら米を追った姿が多くの溜池や十三湖に向かう田園地帯に残っている。北の交易 (これは鎖国策ゆえなのだが)や漁業や林業や銅などの鉱物などで豊だったこの地が米にこだわるゆえに貧困にあえいでいく為政者の政策による悲劇の歴史がのこる。
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