02.倭城を訪ねて2 近世城郭の源

近世城郭の源 倭城を訪ねて
倭城を訪ねて2 近世城郭の源
倭城の技術
いまでも熊本に行きますと「熊本城の石垣はその時に連れてこられた朝鮮の人々の技術で云々」とまことしやかに話がでますし最近までは一般的にそう思われていました。
その位文禄・慶長の役の前後では技術の格差がありますが一度倭城をみればそう言う話はあり得ないと理解されます。彼我では城壁と石垣とでも言えるほど石積み方法は構築思想から異り極度の緊張から短時日に我が国の石垣技術が現地で進展した結果と思えます。
倭城と地域開発
ところが地理的に朝鮮半島の中北部は干満の差が激しいのに対し、倭城の残る南岸は干満差が低くリアス式で埋め立てし易いために臨海工業地帯として発展が急で工業用地としての埋め立てや開発そして都市化の波が押し寄せ、幾つもの倭城に消滅の危機が迫っています。
また四百年たった今少なからず石垣の崩壊がすすみ補修の努力もされておりますが積み方自体に違いがあるためうまくいっておりません。  
倭城の研究保存
確かに我々の先祖が行った恥の遺構という見方も事実ですが、城郭に興味を持つものとしては築城技術遺構として関心を持つべきと考える次第です。国内の城は上に近世の城が乗ってしまいましたから、当時のままタイムカプセルに収まった倭城こそ近世城郭の源の姿を残しているわけです。侵略を受けた方の国にとり思い出したくない遺構ですが最近では韓国でも歴史遺構として考古学的に真摯に研究する方々も増えてきているとお聞きしております、やむを得ず開発が進むとしてもその前に一人でも多くの方が見聞・研究されることを願ってやみません。