19.公山城その1 古墳

公山城その1 古墳
公州は古く百済二番目の都である熊津が置かれたところです、百済は今のソウルの漢江沿いの伯済が次第に馬韓を勢力下にいれて4世紀後半には半島の東の南岸もおさえた国です、北も一時は高句麗王を戦死させるほどの国威を誇った、しかし5世紀に入ると高句麗に押され漢城が落城してしまい、南の熊津(今の公州)に都を移さざるを得なくなった(475年)。

遷都当初は不安定だったが武寧王(501~523)のころには土着勢力と融合しなんとか安定したが次の聖王が再度遷都をしてサビに都を移したため公州はたった60年余りの都であった、しかしその間に百済文化が花開いた、その中でサビに遷都されたためため公州には最も百済らしい遺構が残る、武寧王稜等の等の古墳や公山城が残る。

公州=コンジュ、百済=ペクチェ、熊津=ウンジン、漢江=ハンガン、伯済=ペクチェ、
漢城=ハンソン、武寧王=ムニョンワン、聖王=ソンワン       
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武寧王稜(ムニョンワンルン)
熊 津
現公州、現ソウル市内の漢城を高句麗に落とされ475年遷都
武寧王
在位501~523大和とも関係が深い、左に稜の写真
聖 王
三年山城を攻める サビ(現扶餘)に遷都、沃川の管山城で戦死
サ ビ
サビの「サ」は泗「ビ」はさんずいに比と書く、今の扶餘=プヨ
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