21.公山城その3 朝鮮時代

公山城その3 朝鮮時代
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鎮西楼(西門)

鎮西楼、いわゆる西門で上に楼を持っている、渡り櫓を持つ門とでも言えばいいのだろうか。現在の道路や駐車場がここにあるので立派に復元されている。

朝鮮時代に改修された城郭に復元、一般的な韓国の城の姿である、なお写真のトンネルは城内の民家への自動車路。
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池塘と挽阿楼

建物は朝鮮時代の河を愛でる挽阿楼、池塘は蓮池と
呼ばれた用水、松山城の二の丸の井戸と似ている。
池塘というのは堤でせき止めた池という意味。

錦江といえばこの城を守り水運を担った河だが下流
の扶餘(百済三番目の都サビ)では白馬江という、
日本書紀の白村江。
鎮西楼=チンサールー、西門=サームン、錦江=クムムガン、白馬江=ペクマガン